★泣く子も黙る・・・脱獄不可能・・・★ザ・ロック、監獄島、アルカトラズ島刑務所★
★アメリカ合衆国カリフォルニア州のサンフランシスコ湾内、サンフランシスコ市から2.4kmのところに浮かぶ、面積0.076km²の小島である。昔は灯台、軍事要塞、軍事監獄、そして1963年まで連邦刑務所として使用され、ザ・ロック、監獄島とも呼ばれている。
★現在、この島は、アメリカ合衆国国立公園局が運営するゴールデンゲート国立レクリエーション地域の歴史地区となっており、一般観光客に公開されている。観光客は、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフ近くのピア41からフェリーで島に渡ることができる。
★アルカトラズ島に行くには、サンフランシスコ市フィッシャーマンズワーフのやや南東、エンバーカデロにあるピア41という埠頭から、アルカトラズ・クルーズLLC社の運航するフェリーに乗る必要がある。フェリーは毎日午前9時から30分ごとに出発しております。フェリーは島の船着き場(ドック)に着き、そこから頂上の刑務所棟までの道のりは約0.4キロメートル、また高度差は約40メートルである[。島への入場料金はフェリー料金に含まれている。
★島内では、ガイドの案内に従って回ることも、パンフレットを見ながら自分で歩き回ることもできる。アルカトラズ島の歴史に関するビデオも上映されている。刑務所棟の内部では、英語、スペイン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、日本語、オランダ語、中国語によるオーディオガイドを利用できる(フェリー料金に込み)。このオーディオガイドに従って棟内を移動すると、臨場感ある説明とともに各見所を巡回することができる。
★また、映画の舞台等でも使用されてます。
ザ・ロック (映画)、 アルカトラズからの脱出(主演:クリント・イーストウッド)、告発 (映画) などなど・・・
★支給される物は、衣類、食料、寝起きの場所並びに医療のみ。その他のものはすべて特典とみなされる。
★1934年(昭和9年)アルカトラズ刑務所内規律第5条★
★アルカトラズ島に服役した受刑者の中には、有名な者も多い
★暗黒街の帝王 アル・カポネ 脱税王
タイム誌の表紙を飾るほど有名なギャングスター。禁酒法時代に、シカゴで高級ホテルのレキシントンを住まい兼事務所にしてそこから組織を指揮し、密造酒製造・販売、売春業、賭博業をして組織を拡大し、犯罪組織を統合近代化していったことで知られている
★クリーピー・カ―ピス、ジョージ・ケリー、フロイド・ハミルトン、ロバート・ストラウドなどなど・・・
★連邦刑務所時代には、14回の脱獄事件が起き、それに関与した受刑者は36人である(うち2人は2回脱走を試みた者)。このうち23人は身柄を確保され、6人は射殺され、2人は溺死した。5人は行方不明であるが、溺死したものと推測されている。1946年3月に起きた脱獄事件は「アルカトラズの戦闘」として知られる。6人の受刑者が看守を襲って武器と監房の鍵を手に入れたが、運動場への鍵を見付けることができず脱出に失敗し、当局との銃撃戦の末、2日後に制圧された。6人のうち3人は死体で発見され、残り3人は裁判にかけられてうち2人はガス室に送られた。この事件で看守も2人が死亡し、約18人が負傷した。
★1962年6月11日、フランク・モリスとアングリン兄弟が監房から消えるという有名な脱獄事件が発生した。手製のドリルで通気孔が広げられており、夜の見回り時に気付かれないよう、ベッドには作り物の人間の頭が置かれていた。壁の後ろのパイプなどを伝って建物から脱出し、島の北東部から泳ぎ出したと見られているが、島外にたどり着いたかは不明である。この脱獄劇は、後にクリント・イーストウッド主演の映画『アルカトラズからの脱出』に描かれた。
★1963年3月21日、財政的理由により連邦刑務所は閉鎖された。修繕・維持費用だけで300万ドルから500万ドルかかったとされ、それに加え日々の運営費用も他の連邦刑務所と比べ高額であった(1959年当時、1人当たりのコストはアトランタ刑務所で3.00ドルであったのに対しアルカトラズでは10.10ドルに上った)。これは、食糧や水の輸送供給に費用がかかったためである。
★ツインズマッスルも・・・アメリカで『ギャングスター』ではなく・・・『マッスルスター』として一旗挙げたいと思いま~す♪♪♪
★TWINS MUSCLE★
2011/09/10 15:05 | 雑談 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0) TOP