★AMERICAN DREAM TRIP JUNE 21TH / WASHIGTON,DC / NATIONAL MALL / KOREAN WAR VETERANS MEMORIAL★
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★2012年6月21日 木曜日/ THURSDAY,JUNE 21★
★★WASHINGTON,DC / ワシントンDC★★
★KOREAN WAR VETERANS MEMORIAL / 朝鮮戦争戦没者慰霊碑★
PM 14:00
朝鮮戦争で100万人を超える犠牲者が出たが、戦死者・いまだに行方不明者になったままの人を悼むために、朝鮮戦争戦没者慰霊碑が健立された。
朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日)は、成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が、国境を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争
第二次大戦終了と同時に、アメリカを中心とする資本主義陣営とソビエトを中心とする共産主義陣営は世界各地で対立を深めていました。その最前線となったのが、38度線を挟んでソビエトや中国に後押しされる朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とアメリカが支援する韓国に分断された朝鮮半島でした。この朝鮮半島をめぐって1950年6月25日に勃発した。
最初に主導権を握ったのは北朝鮮軍。開戦直後に韓国の首都ソウルを占領し、アメリカを中心とする国連軍を釜山周辺まで追いつめたのです。これに対して国連軍は同年9月にソウル近郊の仁川への上陸作戦を成功させてソウルを奪回、北朝鮮の首都ピョンヤンも占領し、なおも北上を続けました。しかし10月には中国軍が参戦し、人海戦術により1951年1月にソウルを再び占領。攻勢に転じた国連軍が3月にソウルを再奪還した後は38度線を挟んで膠着状態が続きました。この一進一退の激しい戦いが終わりを告げたのは開戦から約3年後、休戦協定が成立した1953年7月のことでした。
リンカーン記念館の南東、またその東側前方のナショナル・モールにあるリフレクティング・プールのちょうど南側にあたる場所にある。
慰霊碑は円形の広場に交わる三角形状の場所に建設されている。三角形状の広場内には、フランク・ゲイロードによりデザインされたステンレス製の全19の兵士像が設置されている。
各像は等身大よりやや大きく(約2.3メートルから2.4メートルほど)、完全装備に身を包んだ15名の陸軍兵、2名の海兵と1名の海軍衛生兵、そして1名の空軍兵が彫刻されている他、険しい朝鮮地域を表す花崗岩製の歩道と杜松の森林内を散らばるように配置された像は、偵察兵パトロール隊を表現している。
像の北側には三角形の一辺を形作る通路が片側に敷かれている。更にその後ろの南側には、ルイス・ネルソンによって設計され、戦争に巻き込まれた複数の兵士や機器並びに人々を研磨して描いた、約2400人の顔が浮かび上がる約50メートルに及ぶ黒花崗岩製の壁がもう一辺の側面を形成している。
これら全19の彫刻像と壁に反射する像(合わせて38体になる)は、人々が38度線を分けて争ったことを表している。また三角形の3番目の辺の部分にあたる面はリンカーン記念館に向かっている
『朝鮮戦争戦没者慰霊碑&カリスマッチョ』
『19の兵士像&カリスマッチョ』
この戦争は米ソ冷戦時代の幕開けとなり、社会主義と自由主義の政治イデオロギー対立の時代が続くことになる。
北朝鮮が38度線を越えて韓国を統一しようと企図した時、もしアメリカが朝鮮を見放していたら、今頃は全土が金正日の独裁下に支配されていることになる。その一方で、もし韓国の李承晩大統領が北を統一しようとした意図を受け入れていたら、ソ連の参戦を呼び世界大戦になっていたかも知れない。その意味で、トルーマン大統領が中国への空爆を避けて、マッカーサーを解任してまで戦争拡大を阻止した苦渋の決断は正しかった。
その後、ソ連・東欧の崩壊に見るように社会主義イデオロギーの時代は終わり、中国もまた市場主義経済を積極的に取り入れている。
政治イデオロギーの時代は終焉した。それに代わって、イラク戦争に見られるように宗教イデオロギーの対立が表面化しているのが現在といえないだろうか。
実際にイデオロギー(思想・主義・正義)としては自由主義や民主主義は、文字通り強固な団結や統一には向いていない。まして武力で押しつけるものではない。アメリカは朝鮮戦争では受身ではあれ社会主義イデオロギーを阻止することに成功したが、ベトナムやイラクでは失敗した。本当の社会改革は武器によって成功するのではなく、個人の自覚による変革に待つしかないだろう。
なお、両国間には講和条約は締結されていないため、国際法上では「朝鮮戦争は1953年の協定によって一時停止されただけで、戦争そのものはまだ続いている」とみなされている。
つまり、「その意思さえあれば、いつでも協定を破棄して戦争を再開できる」という事である。
★板門店での軍事境界線★
板門店は、韓国のソウルの北約80km、京畿道坡州市に隣接する、また北朝鮮の平壌の南約215km、開城の南約8キロに位置する朝鮮戦争の停戦ラインである軍事境界線(DMZ-DeMilitarized Zone/「非武装区域」とも)上にある(北緯37度57分22秒東経126度40分37秒)。
なお、板門店の周囲は南北両国の共同警備区域(JSA-Joint Security Area) となっており、韓国軍を中心とした国連軍と北朝鮮軍が境界線を隔てて顔を合わせている。
第二次世界大戦後の冷戦下において、南北朝鮮と同じく分裂国家であった東西ドイツ間に置かれた「ベルリンの壁」と並んで、長く「冷戦の象徴」であった。また、世界のほとんどの地域で冷戦が終結し、さらにドイツ再統一に伴い「ベルリンの壁」が撤去された現在においては、世界においても数少ない「冷戦の最前線」ともなっている。
板門店内では国連軍兵士のあとに2列で並んでの移動となり自由に歩くことはできない。指を差す、手を振る、大声で笑うなどの行為は禁止されている。また、軍事停戦委員会本会議場内の設備に触れるなどの行為、国連軍兵士や北朝鮮軍兵士に話しかけたり、挑発的態度を取ったりする行為は禁止である。
なお、撮影時に「ピースサインなどはしないように」とガイドに注意される理由はジーンズと同じである・・・
「アメリカの象徴」であると考えているようです。
もちろん・・・「マッチョポーズ」もアメリカの象徴なので禁止ですねきっと・・・
또 만납시다. トマンナプシダ
고마워요. コマウォヨ
P.S.
MUSCLE STORY12 COMING SOON・・・
THANK YOU!!!
★KOREAN WAR VETERANS MEMORIAL & TWINS MUSCLE★
テーマ : アメリカ縦断/横断の旅 - ジャンル : 海外情報
2013/02/17 00:11 | ご紹介 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0) TOP