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★AMERICAN DREAM TRIP JUNE 22TH / WASHIGTON,DC / NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM UDVAR-HAZY CENTER★

★AMERICAN DREAM TRIP JUNE 22TH / WASHIGTON,DC / NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM UDVAR-HAZY CENTER★

     ★2012年6月22日 金曜日/ FRYDAY,JUNE 22★


        ★★WASHINGTON,DC / ワシントンDC★★



★国立航空宇宙博物館・別館 ウドバーハジーセンター /
NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM UDVAR-HAZY CENTER★


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★第2次世界大戦の航空 /
               WORLD WAR Ⅱ AVIATION★


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大きさの問題で本館に展示できない爆撃機、双発戦闘機と大戦後期に登場した戦闘機を展示したコーナーで、別館の最大の見どころ。

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★カーチスP-40“ウォーホーク”/  
               CURTISS P-40“WARHARK”★


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とりたてて優秀な戦闘機ではなかったが、大戦初期にP-47,P-51の配備が整うまでの中継ぎの役目を負い、その後は同盟国のイギリス、フランス、中国、旧ソビエト輸出され大戦を通じて活躍した。中国ではシェンノート将軍の指揮するフライング・タイガースの使用機として日本機と渡り合った。
2012年5月リビア領内のサハラ砂漠でP-40の残骸が60年ぶりに発見された。1942年に出撃したまま行方不明となっていたイギリス空軍のデニス・コッピン軍曹の搭乗機であった。残骸は破損も少なく、略奪にも遭わず、サビもなく良好な状態であった。





★ヴォートF4U“コルセア”/
                VOUGHT F4C“CORSAIR”★


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直径4mの大直径プロペラと、逆ガル型と呼ばれる途中折れ曲がった特異な翼が特徴。アメリカ海軍に採用されたが、折れ曲がり翼は空母着艦時に安定を欠き失速を起こしやすく、初期型は視界が悪いこともあり、艦載機としては不適当と判断された。当初陸上基地からの使用に限定されていたが、その後改良が進み、パイロットが飛行特性に慣熟すると今まで引き出せなかった性能が発揮され、第2次世界大戦中のアメリカ海軍最高の戦闘機と評価されるまでになった。




★川西N1K2-Ja“紫電21型”(紫電改)/
          KAWANISHI N1K2-Ja“SHIDENKAI”★


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日本海軍最後の制式戦闘機。水上戦闘機“強風”を陸上化した紫電11型は、フィリピン上空の戦闘でグラマン・ヘルキャットと対等に渡り合える性能を示していた。しかし、中翼のため脚の故障に悩まされた。この紫電を低翼にして、胴体を絞って垂直尾翼のデザインを一新した。そして、防漏タンク、爆弾装備を施し、紫電11型とはまったく新しい戦闘機21型が生まれた。俗称“誉”エンジンが開発初期の欠点を取り除くことができず、洗練化を充分に行えないまま、実戦投入せざるを得なかった。稼働率が低かったが、ヘルキャット、コルセアと対等以上に戦える唯一の戦闘機は存在しないと考えていたアメリカ軍パイロットは、紫電改の出現に驚き慌てた。




★愛知M6A1“晴嵐”特殊任務攻撃機 /
                  AICHI M6A1“SEIRAN”★


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潜水艦空母に積み込み、密かに敵の領海に潜入してから、洋上で組み立て、敵の最重要拠点を奇襲する目的で開発された特殊攻撃機。
晴嵐の最大の目標はパナマ運河の奇襲であった。潜水艦に搭載するため、直径3.2mのプロペラの直径内に胴体主翼、垂直尾翼、フロートなどが、すべて収まるように設計された。攻撃時が夜間、悪天候でも、4人の整備兵が10分以内に再組み立てできるように工夫が成された。
1945年7月、潜水艦4隻に晴嵐10機を搭載した第一潜水艦は、出撃日も出港地も変えて出動。目的は、アメリカ海軍の最大補給基地のひとつであり、機動部隊が集結するウルシー環礁の奇襲であった。しかし、途中で終戦となり実戦に参加することはなかった。そのユニークは発想とそれを実用化した技術はアメリカ海軍から高く評価された。





★川崎キ45改“屠龍”/ KAWASAKI Ki-45“TORYU”★

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1941年9月に初飛行した双発、複座戦闘機で、陸軍には二式複座戦闘機として、また護衛用の長距離戦闘機として正式採用された。開戦直前にインドシナに配備され、ビルマ、ベトナム、満州などで本来の任務と異なる防空戦闘機として使用された。
B-29の唯一の急所といわれる胴体と翼の取り付け部を攻撃し、難攻不落といわれた“超空の要塞”を相当数撃墜した。展示機は胴体だけで残念だが、展示スペース上やむを得ないかもしれない。





★空技廠“桜花”/ KUGISHO MXY7“OHKA”★

        2012 USA5 186

第2次世界大戦末期の敗色濃厚の戦況のなかで、民族の存亡を賭けた最後の手段として開発された特攻機。
火薬ロケットエンジン装備の11型は母機の一式陸攻から切り離され、ほとんど滑空状態で敵艦隊に突入した。装備されたロケットエンジンは敵戦闘機の追撃を振り切るため短時間の使用に限られ、特攻の成功率は極めて低かった。その弱点を改良するためジェットエンジンを装備したのが展示の22型。実戦には投入されなかった。





★ボーイングB-29“エノラ・ゲイ”/
              BOEING B-29“ENOLA GAY”★


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大戦末期、大編隊を組んで飛来するB-29を見上げていた日本人は、想像の域を超える圧倒的な姿を見て、敗戦を覚悟したといわれている。ボーイング社といえどもこれだけの技術的大改革は容易ではなかった。

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1942年9月と12月に原型機2機が相次いで事故で失われた。この教訓から種々の改良を行い、1944年インドの基地から発進したB-29がバンコクの日本本土爆撃を行ったが、予定どおりの結果は得られなかった。中国基地からでは補給上の問題があり、基地の整備が整ったサイパン、グアム、テニアンなどのマリアナ諸島に出撃拠点を移したのだ。

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そして、1944年11月24日を皮切りに日本各地の軍需施設の爆撃を開始。1945年に入ると夜間攻撃を開始し、3月9日の東京大空襲で東京の下町を焼き尽くした。そして、8月6日に第393中隊所属のこの展示機、エノラ・ゲイが広島に原子爆弾を投下した。日本人にとっては複雑な感情をもたずに見ることは難しい機体でもある。

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★ロッキードP-38J“ライトニング”/
            LOCKHEED P-38J“LIGHTNING”★


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ロッキード社チーフエンジニアのホール・ヒバーが設計したことになっているが、実際にはアシスタントであり、後のスカンク・ワークスの生みの親ケリー・ジョンソン設計。排気タービン付き過給器装備の液冷エンジンを採用した。高速度、高高度迎撃機として設計された。機体全体は必要な整備をエンジンの後部胴体に収めてスリムにまとめている。操縦席部分は独立しており、火器を集中して装備できたので射線のぶれが少なく、精度を高く保てた。



★ノースロップP-61C“ブラックウィドウ”/
         NORTHROP p-61C“BLACK WIDOW”★


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真っ黒に塗られて不気味な雰囲気のある機体は、夜間や悪天候時に敵地深く進攻して、軍事施設などの破壊を任務としたアメリカ初の本格的夜間戦闘機。1942年5月に初飛行した双発、双胴形式の3人乗りで、レーダーと12.7ミリ機関砲4丁を装備。1943年から実戦投入され、翌年6月のノルマンディ上陸作戦で大きな戦果を挙げた。7月には南太平洋戦線で初戦果を挙げ、大戦末期には沖縄にも襲来した。名称の“ブラックウィドウ”は直訳すれば“喪服の未亡人”の意味だが、実際は同名の北米に生息する黒い毒グモに由来している。




★ホーカーハリケーンMK.II C /
            HAWKER HURRICANE MK. II C★


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バトル・オブ・ブリテン(英国本土防衛作戦)にスピットファイアとコンビで英国を守った戦闘機。戦闘ではスピットファイアが敵戦闘機の迎撃、ハリケーンは敵爆撃機の迎撃の、役割分担をしてこの国家存亡の危機を見事に乗り切った。その後迎撃戦闘機としては性能不足となり、おもに地上攻撃などに使用された。



★ボート-シコルスキーXR-4C /
               VOUGHT-SIKORSKY XR-4C★


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XR-4は世界初の大量生産ヘリコプターであり、1個のロータ構成で最初に成功した生産回転翼航空機 でした。この航空機の成功は軍で民間部門 により先進の回転翼航空機の大規模な導入への道を開きました。アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参加した6週間後に最初の飛行をしました。 XR-4は、ブリッジポート(コネチカット)からライト・フィールド(オハイオ)まで1,225キロメートル(761マイル)の飛行を含む多くのヘリコプター・レコードを記録ました。




★BOEING B-29“ENOLA GAY” &
                     TWINSMUSCLE Jr.★


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★WORLD WAR Ⅱ AVIATION &
                     TWINSMUSCLE Jr.★


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航空マニア、戦争マニアがよろこぶ航空機の数々・・・

IF YOU COME HERE・・・第2次世界大戦の航空マニア♪♪♪




P.S.
MUSCLE STORY13 COMING SOON・・・
THANK YOU!!!


NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM UDVAR-HAZY CENTER & TWINS MUSCLE

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テーマ : アメリカ縦断/横断の旅 - ジャンル : 海外情報

2013/07/09 22:10 | ご紹介COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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